川崎医科大学合格
総合型選抜
A・H君
個人指導生
松江南高校
富士学院での生活を糧に、将来地元の人のために島根県雲南市で医師として地域医療に貢献していきたいと思います。
私は現役の時、自分の力では医学部に受かりそうになかったので、薬学部を受けました。薬学部は一校受かったのですが、どうしても医学部に行きたかったので、浪人することに決めました。私が富士学院広島校を知ったのは、父の出身が広島県で、祖父母が広島県にいたということと、島根県に塾が少なかったということから、両親が広島で医学部に向けて勉強できるところを探してくれたからです。私が富士学院に入ろうと決めたのは個別で個人に合わせた授業を行うということと、生活面まで見てくださると思ったからです。
そして私は一昨年の三月中旬から富士学院に通い始めました。初めは高校生活から生活ががらりと変わったこともあり、なかなか浪人生活に慣れることができませんでした。また私は当時、高校一年生の内容も理解していないところがたくさんありました。そんな中、先生方は私の状況に合わせて授業を行ってくださり、とても助かりました。また整理ができず、広島の地理が分からない私のために、職員の方が一緒にファイルを買いに行ってくださいました。授業では、特に英語において文法が分かるようになり、長文の読解力が上がるなど、学力が少しずつついてきました。その甲斐もあってか、一年目の川崎医科大学の総合型選抜では一次試験に合格することができました。二次試験の面接については、最初はどういう風に答えて良いか分かりませんでしたが、面接練習をしてもらったおかげで、少しずつうまく答えられるようになりました。ですが、本番では、それでも緊張してうまく答えられず、そのときは合格することができませんでした。一般選抜に向けては、自分の傾向に合っている大学を各教科の先生方が色々と教えてくださいました。しかし、数学と小論文の力が足りず、一年目は残念な結果に終わってしまいました。
二浪目が決まった時、私は今年で最後にしようと心に決め、また三月から勉強を始めました。二浪目では特に力の足りなかった小論文に注力して取り組み、新聞視写にも力を入れました。次第に小論文をどのような構成で書いてよいかが分かり、一浪目に比べてかなり小論文が書けるようになりました。また、他の科目では演習を主に行うことで、実際の問題がかなり解けるようになりました。生活面では、自分で整理をすることや、計画を立てて行動することを意識するようになりました。
二度目の総合型選抜では「次こそは絶対に合格するぞ」という気持ちと、「これに落ちたらどうしよう」という不安があり、一浪目より緊張しました。ですが、これまでの対策の成果が実を結び、面接でも緊張することなく受け答えすることができました。実際に合格した時は今までの努力が報われた気がしました。
私はいろいろと足りないところがあり、勉強以外の面でもご迷惑をおかけしてきました。ですが、先生方はあきらめずに最後まで指導してくださいました。本当にありがとうございました。私は元々、私の地元の人のために医師になりたいと考えていました。現役時代はいろいろと足りないところもありましたが、この二年間で川崎医科大学に合格することができるほど成長することができました。私は将来、富士学院での二年間の生活を糧にしながら、島根県雲南市で医師として地域医療に貢献していきたいと思います。